先に言っておく。

私は幼少時代から、
三度の飯よりも、哲学が好きだ…

現代の学校教育、メディア、
世の中のリア充は恋のこと、
元気いっぱいに遊ぶことが正義である。

と高校時代のおれは、
価値観を植え付けられていた。

教室の中で、
哲学書を開いて読んでいるのを見られたり、
世間話で哲学の話を出すのは当時、ダメなことだと思っていた。

現代において哲学は不必要なのか?

そうかもしれない。
哲学書は笑えないし、
役に立たないかもしれない。

哲学に興味のないリア充からしたら、
哲学書を読んでる奴は、
電話帳を読んだり、時刻表を永遠と呼んでいる、
奇異の目で見ているのであろう。

そもそも、哲学のことを周りの友人や
知人で共有する相手なんて、
いるほうが珍しいぢゃないか!

もし、飲み会で哲学の話題なんて出したら、
政治や宗教のことを口開くくらい、
KY(空気読めない人)な人、
その場の雰囲気をぶち壊すし、盛り上がらないことが多いだろう。

ぢゃあ、やっぱ哲学なんていらないぢゃないかっ!

それでも
哲学書を読み続けてしまう
思考を凝らし続けることに快楽を感じるのである!

快楽には2パターンあって、

その場で瞬間的に快楽が来るものがある
のと、長い年月をかけ、たまりにたまって
急にドカンとくるやつがある

どちらも哲学では
得られることができる。

哲学は学問として劣っているの?

社会において、学問という枠組みで
哲学ある以上、学問の視野に沿って、
整理して考えてみよう。

<雑学と哲学の違い>

雑学は一般常識や知識を得たのに対し、
哲学は約に立つ知識を得た気がしない。

<歴史と哲学の違い>

歴史を学ぶ面白さは一般常識や知識を得たのに対し、
哲学は約に立つ知識を得た気がしない。

<科学と哲学の違い>

科学は論証、証明、何が正しいとか、他人に説明できるのに
哲学は目に見える形で他人に説明できるに値しない。

やはり、哲学はダメなのか?

しかし、哲学と似た学問がある。
それは歴史だ。

哲学=歴史と捉えて、
歴史と科学をもう一度捉えなおしてみよう

<科学と歴史の違い>

科学は誰でも、場所、時代を問わず、物を落として下に落ちるような、
何回繰り返しても、その通り、同じ結果になるものに対し、

歴史は同じ条件、繰り返しても同じ結果にならない。

少しわかってきた気がする。

つまり

<文系と理系の違い>

理系とは、何回反復しても同じ結果になる知識

文系とは、何回反復しても同じ結果にならない知識

ということが言えるだろう。

哲学は変わりまくる世の中、世界に対して考えたりすることができるのだ。

確かに、スーパーのレジ打ちや
言われたことをやればいいだけの従業員にとっては
哲学は不要。

経営者や支配者がつくったシステム通りのことを
行えたほうが都合がいいので、
むしろ、哲学は邪魔になるだろう。

そもそも、
この国で普通に生きていれば、
哲学が邪魔だと思える少年少女ができて当たり前だ。

現代の9年~16年の学校教育は、
「従業員」や「下士官」を育てるための教育なのだから

もちろん、従業員や哲学を不要とする人々を
ダメだとか、蔑んだりすることは絶対にない。

世の中のシステムを回すには、
彼らの存在が必要不可欠なのだから。

一方、経営者になるための勉強
帝王学を学ぶにはどうすればいい?
普通には教えてくれないので、自分で勉強するしかない。

その学問が「哲学」なのだ…

 

「哲学」を愛する人にアドバイス

哲学は誰にも共有できないし、
お金も稼げない

と思う人が多いし、以前の私もそう思っていたが
果たしてそうか?

この筆者の彼女も同じことを思って
苦しんでいた時期はあるだろう。


もちまえのルックスだけでなく
書籍を出したり
有料の哲学サロンを開催したり、
マネタイズ(収益化)に成功している。

もちろん、いかに差別化、ターゲティング、ブランディングするかは
皆の自由だが、

哲学 + マーケティング を取り入れ、

持ち前の従業員マインドから脱却する力があれば、
上手くいくことが多いだろう。

そして、きっと誰かの心に届くはずである。

試行錯誤を楽しもうじゃないか!
健闘を祈る