古事記の序盤には
宇宙の成り立ちについて語られている。

そこで出て来る神は
アメノミナカヌシノカミ(天之御中主神)
タカミムスビ(高御産巣日神)
カンムスビ(神産巣日神)

という男女という概念もない
3柱の神が登場する。

※神の人数を数える時、人(ニン)ではなく
柱(ハシラ)と数える。

この記事では漢字で表記すると
読みづらいので、
カタカナで表記することにする。

古事記は意味が分かりにくい

この古事記という読み物は
比喩や例え話で物事を伝えようとしているので
普通に読んだだけでは何を伝えたいのか

わかりづらくて当たり前だ。

さらに宇宙のこと説明すると
どうしてもスケールがでかく
収集が付かないので

古事記に登場する神や人物に焦点を絞って
説明していこうと思う。

古事記で一番登場するのは
アメノミナカヌシという創造神だ。

パズドラで有名ではないか。

この神、先ほど言ったように
性別の区別も無ければ、
人のカタチをしているのかさえ不明だ。

なぜなら古事記にも
人物象や性格さえも語られていないからだ。

古事記と宇宙観の話

宇宙の始まりはビックバン(大爆発)によってはじまり
宇宙を構成する惑星や物質ができたと言われている。

さて、宇宙を構成する惑星や物質を維持するには
軌道が必要だ。

軌道が無ければ、物質を安定させたり
カタチを維持することができないからだ。

軌道を維持するには、中心が必要だ

物事の始まりは、すべて中心という概念から始まり、
中心のまわりを物質がまわり、維持するということだ。

ここまでの説明で
ほとんどの人は、私が何を言っているかわからないだろう。

当然だ。

宇宙の話をしようとすると、
哲学的な話になってしまい、
他者に伝えようとするのは、困難を極める。

そこで登場するのが「アメノミナカヌシ」という神だ。

アメノミナカヌシという神が登場して、宇宙の中心となる
これが古事記で語られているのだ。

『この中心人物となるアメノミナカヌシが宇宙を作った』
と表現すれば、一言で済むからだろう。

物事には中心が必要

物理の話になってくるが、
車輪を回し続けるとき、必ず軸となる中心が必要なように
物事には中心(すべての動きの原動力)が必要になってくる。

中心も軸もない車輪は、惰性で回し続けることが出来ないからだ。

自転車を漕いでたら、
車輪のハブのとこだけが吹っ飛んでしまったら、
タイヤとスポークだけで
そのまま漕ぐどころか大惨事になると思います。

車輪だけでなく、この世のすべてが中心があって生きている。
コマ回しのように、中心がグラつきパワーを失うと何もできなくなる。

古事記はそんな物理学のことを
科学が数式が出来る前から
「アメノミナカヌシ」という神を用いて説明していたのだ。

古事記が「アメノミナカヌシ」で伝えたいこと

中心がないものは生きていくことができないし
今まであった中心がグラついたりすれば
今まで働いていた力もパワーも失ってしまうので、
中心を常に移り変わる物事にゆだねてはいけないということだ。

物理学だけでなく、
我々の日常生活に置き換えてみると、
思い当たる節はありませんでしょうか?

いままで自分の中で中心となっていた物や、人物が、思想が
グラついたら、自分の本来の力を発揮し続けることが出来るでしょうか?

これは大丈夫だ!と盲目的に信じて
自分の中心を他人や外の物質に置いてしまい

それが崩れ去った時
果たして、今までの自分の力を保つことができるでしょうか?

自分にとっての中心は何なのか。
自分自身なのか?
どこかの経典なのか?
人それぞれだとは思いますが

古事記や神道では
何が正しい!これを信じていれば大丈夫というのは
基本的に教えていません。

伝えているのは、
永遠に変わらない法則だけです。

古事記を通して伝えようとしている意味を知り
法則通りに動くと上手くいくことが多いのでは?
と今のところ自分は思っているので更新して参ります。

スポンサーリンク